歌に隠れた彼らの事情【back number:エンディング】

f:id:winking:20170918010644j:plain

 

この写真、夏にわたしが撮ったものなのだけれど、見るたびに「back number」を思い出すんですよね。

 

撮った角度とか花の色合いとか開き方とか、後ろが黒いところとか、なんとなく彼らっぽい感じがする。MVに出てきそう、こういう花束。

 

 

みなさんの中で、back numberの曲を聴いたことが1度もない!という人はいないでしょう。「花束」「高嶺の花子さん」は、特に彼らを好きだというわけではなくても、耳にしたことはあるはず。あと、これからの時期で言えば「クリスマスソング」とか。

 

私は数年前からback numberが好きで、仕事の帰り道にスーパーの買い物袋をぶら下げて聴くならこの歌、イライラしていて雨も降ってたらこの歌、と時間・天気・状況で聴く歌が決まっています。

あとは、歌を聴きながら「きっとこういう人がこんな状況で聴いているだろうな」と妄想したりもします。

 

 

今回選んだ歌は、私の「back number全曲の中で再生回数が多いランキング」で堂々(たぶん)1位の【エンディング】。

 

ふとした瞬間に頭の中でこの歌が流れるほど聴きこんでいる男性がいるとすれば、きっと彼はこんな状況なんだと思う。

 

 

 

 

‘‘別れ’’というものは前触れもなく突然やってくるものだと、相場が決まっている。今まで聞いたことのないほどハッキリとした声だったのに、ぼくはなぜか聞き返していた。

 

 

「別れよう」

 

 

目の前に座る彼女は、大きい窓から燦々と降り注ぐ太陽の光を背中に浴びて、まるで後光が差しているようだった。こんな時なのに、「女神のようだ」とぼくは心の中で呟いた。あれ、今なんの話していたんだっけ。そうだ、ぼくの両親の話だ。60を目前に控えている両親がいつまでもイチャイチャとしていて、ついこの間の結婚記念日にはふたりで旅行に行った、あの話をしていたんだった。

  

 

「あの日ふたりで観た映画の、エンディングみたいだね」

 

 

彼女は、しばらく前に飲み終えたコーヒーカップのふちを左手の親指と人差し指でなぞり、口紅を拭う。ぼくはその動作を見つめながら、先ほどなみなみと注いだばかりのコーヒーカップを両手で持ち、ズズズ、と音を立てて飲んだ。一体いつの話をしているのだろう。映画は何度も一緒に観に行ったし、いくらぼくの記憶力が優れているからと言って、それらのエンディングをひとつひとつ正確に覚えているわけじゃない。

 

彼女はコーヒーカップを洗っている間、ぼくの話の続きを聞いて、「素敵なお父様とお母様ね」と他人行儀な口ぶりで呟いた。

 

 

昨日の夜から何度も視界に入る花柄のスカートは、君の着る服のなかで1番好きだと、たしか付き合いたての頃に言ったものだ。もう2年が経つだろうか。

薄着の季節になると頻繁に登場するその見慣れたスカートが、彼女のゆったりとした動きを追いかけるようにしてふわりとゆれる。

 

身支度を整えた彼女はもう1度目の前に座り、まるで何かを確かめるようにしてぼくの瞳を見つめた。別れようという彼女の声が頭の奥でこだまして、耐え切れずに逸らした視線が、コーヒーの表面に映る自分のそれとぶつかる。

 

「悲しいね」

 

頭の上から、とてもそう思っているようには思えないほどの清々しい声が聞こえて、顔を上げてはっとした。まばたきをするたびにふぁさっと音が聞こえてきそうな睫毛、その奥に潜む黒い瞳を少しだけ輝かせるなみだ、綺麗に上がった口角。見慣れない笑顔が、そこにはあった。

唖然としているぼくに気が付かないふりをしたまま、彼女はまっすぐとした瞳で「ありがとう」と言って、部屋を出ていった。

 

 

ワンルームの部屋には、椅子に座るぼくまでは届かない太陽の光と、今までぼくが嗅いだことのない彼女の新しい香水のにおいだけが残っていた。

 

 

(つづく)

たぶん今週はダメ人間

f:id:winking:20170815145845j:plain

 

 

2017年、早くも9月に突入してしまいましたね~~。毎日ブログ書くぞ!って最初は意気込んでいましたが、ふつうにむりでした。数字を取れる記事を書けるようになるべく色々勉強もしていますが、家に帰ってくるともうむり~~~~って思っちゃうんですよね。ライターとしてはあるまじき姿……。

 

 

 そんなわけで、今日もゆるゆるだらだらと書きます。頭が働かないので、内容が無いのは大目に見てね。

 

 

 

 そういえば、私「しいたけ占い」が大好きなんです。毎週月曜日の10時か11時くらいに1週間の運勢出てるので、みなさんもチェックしてみてね。ちょう当たるよ。

voguegirl.jp

 

 しいたけ占いの的中率がとにかくスゴイということはTwitterでも再三言ってるのだけど、最近見つけた占いが結構当たるのです。

 

 

 それがこちら。

 

 

www.vivi.tv

 

 ちなみに今週(9/4~9/10)の天秤座は、

自分を癒やしのピットに入れる週


天秤座の姫は、今週はどちらかといえば体と心のお休み期間。明日の活力を蓄えるために、今週は器用に手を抜いて、姫でなくてもいいところには首をつっこまないとかして他人への労力を極力セーブする、“自愛”を高める強化週間のよう。自分が折れれば周りが丸く収まるとか、自分が犠牲になって周りに貢献するとか、なぜか忍耐が求められるようなシチュエーション等にめぐりあうような週だけど、あまり自分に厳しくすると週末あたりにその反動がくる恐れも。今週はどちらかといえば、引きこもり週間!“誰に誘われようと、家で溜め録りしてあるドラマみるぞ!”ぐらいの感覚で過ごしてもいいのでは?自分に優しくして来週以降に向けての作戦会議といこうではありませんか♬ ちなみに家にいても気が休まらないという姫にはちょっとした逃避行もおすすめ。カラオケに行ってみたり、図書館に行ってみたり、ちょっと短期の旅行に出てみたり、そういう“気の休め方”をしてみてもいいのかも。“気疲れ”している時は肝臓と胆嚢と頭をセットで休めてみてね(暴飲暴食、とくに油ものを控えるとか)。夜更かしはよくないから早寝早起きと適度な運動で体調をリセットしましょう。

 

 

 わ、わかる~~~~~!当たりすぎて怖い~~~~~~!

 去年の10月から‘‘動かざるを得ない’’みたいな状況に陥ってる天秤座ってかなり多いと思うのだけど、その疲れとか反動が一気に来たような感じがしている(私だけ?)。

 

 

 

 今日の夕方、仕事から帰ってくるときにすごく秋のにおいを感じたのだけれど、こころが一向に動かなくてビックリした。大好きな秋のにおいなのに、家に辿り着くことで精いっぱいでこころが微塵も動かない。

 

 

 とにかく家に早く着きたい。他の仕事は溜まってるし、父が置いていった大量の衣類を洗濯しなきゃいけないし、そうだ、宅配便も受けとって、ご飯は何にしよう。電車の隣にいるおじさんが怖い。早く駅に着かないかな。ああ、毎日ご機嫌でいたいのになあ。大人になるってどういうことなんだろう。20歳になったって何にも変わらないのに。でも出来るだけ幸せに生きていきたいよなあ、明日も仕事がんばろう。とりあえず今は、家に無事着けるように足を動かそう……。

 

 これが今日の電車の中での心境。あと、前に立っている美容学生らしき女の子の髪色が透明感のあるパープルで、とっても綺麗だった。髪染めたいな~って思ったけど、そのお金で本買えるって思うとどうも踏み切れない。アイスでもいいな。

 

 

 今週、もう木曜くらいの気持ちなのだけどぜんぜん火曜だし、頭は重いし、夏が終わるのにこれっぽっちも悲しいと思わないことが悲しいし、たぶん今週はダメ人間です。まあこういう日もあるよね~~!!なにとぞおてやわらかに~~~~~!おわり

 

 

今日で234日目らしい。

 

f:id:winking:20170815153929j:plain

 

 気がつけば2017年も8月下旬、あと10日後には9月に入る。なんという速さ。あれ、つい昨日「あけましておめでとうございます」と親戚中に挨拶して回ったんじゃなかった?と疑問を抱きながら数えてみたら、今日でなんと234日目である。当たり前か、昨日なわけない。

 

 1年を振り返るにはまだだいぶ早い気もするが、心の中に立ち込める暗雲を振り切るために模様替えをして、綺麗な部屋でアロマディフューザーから出る良い香りを全身に纏っていたら心も浄化されたので、この良い気分にちょっぴり浸りたい。

 

 

 

 社交的だと昔からよく言われる(社交的というより、立ち回るのが上手い?)のだが、

天秤座のキャッチフレーズをそろそろ決めたいんですけど、天秤座って「社交的引きこもり」なんですよ。もう一回繰り返します。「社交的ひきこもり」。 

としいたけ占いのしいたけさんも言っているように、実は根っからの‘‘社交的’’ではない。仲良くしていただいている人たちは口を揃えて「めくばせは人に対して一線を引いてる」と言うし、この世界で他者と共存するために1番重要なのは‘‘適切な距離感を保つこと’’だと思っている。物理的にも、精神的にも。

 

 

 物理的なことで言えば、まず基本的にインドア。予定があれば外へ足をのばすが、外は人間だらけだし、新宿のルミネで買い物なんてできやしない。女の子は好きだけれど、それは女の子を‘‘個人’’として見る時のみである。パーソナルスペースが広いのか、近くに‘‘人間’’がいることが苦痛に感じるのだ(満員電車では周りを‘‘人間’’だと思わないようにしないと乗り切れないことは、京王線ユーザーなら共感できるだろう)。

 

 また、人と接するのは好きだが1人の時間がないと壊れてしまうので、朝から晩まであっちへ行ったりこっちへ行ったりできない。本当にまだぴっちぴちであるはずの19歳か?

 

 昨年までは服飾学生だったので平日5日、毎日朝5時に起床し6時には家を出て、20時に帰るという生活を送っていたが、こんな自分がそんな風に生きていたなんて考えられない。昨年は人と会うたびに「目が死んでる」と毎回言われていたのも頷ける。

 

 

 しかし、どちらかと言えば、精神面での‘‘距離感’’が重要かもしれない。しいたけさんも言っているように天秤座は、12星座中1番作業的な星座。情熱がないわけではないけれど、感情で動くというよりもライフワークである‘‘分析’’を無意識のうちに行って、物事との適切な距離感を保とうとするのだ。距離感を保つことこそが、天秤でバランスをとるように、心と身体の平衡を保つことに繋がる。

 

 人間嫌いではないのだけれど、心を許した人以外の誰かがぐいぐいと近づいてきて干渉してくることに抵抗がある。そもそも干渉されることがイヤなので、「あ、ムリだな」と感じたら「もう心の扉は2度と開きませ~ん、ごめんなさ~~い!」と心の中で大きく呟いて、微笑んだままサーッといなくなる。ごめんなさい……。

 

 

 そんな「社交的引きこもり」の私が!なんと!!8月に入ってから!!!延べ13回も人と会うことになっている!!!!!(というのも、これから会う人もいるからだ)

 

 驚きの数字である。この「社交的引きこもり」の私が、仕事を始めて人間と話す機会なんて本当にめちゃくちゃ少なくなった私が、1ヶ月のうち1/3を‘‘人間に会う’’ことに使う(もちろん良いことです、人間を悪く言っているわけではありません)なんて、一体全体どういうわけだ?

 

と思い振り返ってみたら、そういえば7月末に仕事もプライベートもすべてが上手くいかず、「ああもう無理だ、とにかく人間に会いまくって刺激を受けまくりたい!何か変わるかも!!ということで‘‘人に会いまくるキャンペーン’’実施します!!!」と宣言していたのだった。

 まあ‘‘延べ’’なので13人全員別の人間というわけではないのだが、精神的にも社会的にも(?)引きこもりの私が、1ヶ月に13回も人と会うなんて前代未聞である。

 

 

 元々人と接することは好きだし、今月会った人たちはこの先ずっと相手の人生を見守りたいと思えるくらい大好きな人たちばかりだったので、とにかく「幸せ」という2文字に尽きる1ヶ月になりそうだ。

 

 最近テレビ局でバイトを始めた小学校からの友人や、やわらかい言葉を紡ぐ某有名ライターさん、一緒に仕事もしている幼馴染、お互いを彼氏にしたいと思っている美容師の卵や、人間として完成されている大好きな短歌の神様、美人で毒舌な服飾時代の友人、年下とは思えないほど色っぽくて大好きな男の子、など。それぞれに生活があって、今もどこかで私の知らない人たちと一緒にいて、私には知り得ない感情をもって、夜道を歩いたり、眠りにつこうとしたりしているのだろう。

 

 夏は色んな出来事や感情を連れてくるし、その殆どが切なくてやりきれないようなものばかりだけれど、できることなら、彼らがどうしようもなく悲しくて泣いてしまう夜はこないでほしいし、辛くて仕方ない現実なんて訪れないでほしい。大好きな彼らにはいつだって笑っていてほしいし、もしそんな現実が訪れても彼らはきっと乗り越えて成長すると信じられるけれど、それでも、死にたくなるほど悲しい経験なんてしないほうが絶対に良い。悲しい経験こそが人間を成長させるという言葉は、万人に当てはまるわけではない。

……なんだかしんみりしちゃった☆

 

 

 

 とにもかくにも、大好きな人たちと会ったら仕事もプライベートも順調に進むようになって、本当に彼らはすごいなって思うんです。この1ヶ月、あと12ヶ月分くらいやりたい。ダメですか????ダメですよね~~~~~!!(それ以前にできませんよね~~~~~!!)

 

なんて思いながら、溶けた氷で薄まりまくったカルピスを一気飲みして、私はお風呂に入るとします。そして、これからはもっと積極的に人間に会って、めちゃくちゃ仕事でもプライベートでも結果出していきたいと思います。PDCA回します。

 

 それではおやすみなさい~~!!

 

 

 

グラタンと日常に隠れたスイッチ

 

 少し肌寒いくらいに冷房が効いた部屋で、ぱたん、とわたしは本を閉じた。先週、尊敬してやまない夏生さえりさんからサインと共に手渡された『口説き文句は決めている』である。 

 

 ‘‘食と恋’’というテーマで書かれたこの素敵な本を読み進めるうちに、わたしにも‘‘食’’と‘‘恋’’が結びつくエピソードがあることを思い出した。

 

 今日はわたしが学生だったころの、ちょっぴり苦い思い出について書こうと思う。

 

 

 

「そういえば、みんながあの喫茶店の食べ物が美味しいって言うから、私たちも行ってみない?」

 

 そんなわたしの一言に当時好きだった彼はふたつ返事をして、日曜の昼下がりに古びた階段を上った。夏なんてとうの昔に過ぎたと思えるほど秋も深まってきたというのに、その日は少し暑苦しいと感じたことを覚えている。

 

 暗めの店内は今で言う‘‘フォトジェニック’’などという言葉とは無縁で、少し寂しげな空気を漂わせていた。それでも席はかなり埋まっていて、それぞれがカレーライスや殆ど炭酸が抜けてしまったように見えるメロンソーダを前に、話に花を咲かせている。

 

 女性店員に案内された席は壁際で、かなり昔の本がズラリと並べられていた。随分と読み込まれた印象を受けるほどにどれもクタクタになっていて、次来た時には今までこの席に腰を下ろした人の人生に思いを馳せてみよう、などと胸を躍らせてみる。

 

「ねえ、なに食べよっか?」

 

 遠慮がちにヒソヒソと、そして時折「アハハッ」と女性の高い笑い声と共に何人もの「シーッ」が広がる店内。わたしの知らない人がこの席に座り、人生を考えたり恋に悩んだり、その答えを本に求めたりしたのだと確信できること。そして目の前に座る、保育園のころから知っている彼。……あ、髪が跳ねてる。なんだかこう、‘‘大好き’’が詰まったようなこの時間が愛おしくて、メニューと彼を交互に見つめながら、いつもよりちょっぴり高い声でわたしはそう聞いた。

 

 

 「せーの」で指差して見事に被ったグラタンを、ハフハフと口に運ぶ。チーズと玉ねぎが絶妙にマッチしていて、「美味しいね」、と言おうとした瞬間。

 

「なんか不味くない?」

 

 彼は眉間に皺を寄せ、今にも落としそうなほどの弱い力でフォークを持ちながらそう呟いた。わたしの反応を待つことなく、「中、火通ってないんじゃない、これ」と続ける。

 

 

 まるで、シャッターが押されたようだった。わたしはそれを‘‘瞳のシャッター’’と呼んでいる(ネーミングセンスがないことは誰よりも自分がわかっている)のだが、感動したときや美しいものを前にしたとき以外でもこのシャッターは押されるのか、と冷静に考えたりもした。その写真と彼の言葉は未だにわたしの記憶の淵に居座り、他の男性と食事をするときにはいつも蘇る。

 

 

 

 「不味くない?」の一言は、それまでのふたりのあまい会話も、人生とか考えたくなるほどにエモい店内も、まだほんのりと湯気を立てている美味しそうなグラタンも、そしてわたしのウキウキとした気分もグチャリと潰して、残ったのは彼のフォークが机に置かれたときの少し大き目な音と、彼に届かないほどに小さいわたしの溜息だけ。

 

 それからというもの、わたしの理想のタイプには‘‘出された料理がたとえ美味しいと感じられなくても、笑い合える人’’が加えられた。勿論、無理して笑ってほしいだなんて思っていないが、自分たちの口に合わない味というものは少なからずあるはずで、それでも「こんな日もあるかー!」と笑える人が良い。

 

 

 

 こんなちょっぴり苦い思い出は、わたしだけでなく誰にでも1つはあるだろう。街を歩いているときにふと感じた懐かしい香りや、開拓しようと入ったカフェで最初に目に入ったふわふわパーマの茶髪店員、夏が生温い空気と一緒に連れてくる一夜限りの思い出や、毎年その季節にだけ咲く花の名を教えた誰かのこと。もう忘れたと思っていても日常の至るところにその‘‘スイッチ’’は隠れていて、それが押されるたびに立ち止まり、胸を締め付けられるか或いは少しの安堵を覚え、また歩き出す。

 

 

 そして今日もわたしは通っている喫茶店で絶品スパゲッティかそんなに口に合わないグラタンかで迷い、最終的に「やっぱりグラタンだ」と決め、「ウーン、いつも通りだ」と零し口に運びながら、「こんな日もあるかー!」と笑いかけてくれる人を待っている。