グラタンと日常に隠れたスイッチ

 

 少し肌寒いくらいに冷房が効いた部屋で、ぱたん、とわたしは本を閉じた。先週、尊敬してやまない夏生さえりさんからサインと共に手渡された『口説き文句は決めている』である。 

 

 ‘‘食と恋’’というテーマで書かれたこの素敵な本を読み進めるうちに、わたしにも‘‘食’’と‘‘恋’’が結びつくエピソードがあることを思い出した。

 

 今日はわたしが学生だったころの、ちょっぴり苦い思い出について書こうと思う。

 

 

 

「そういえば、みんながあの喫茶店の食べ物が美味しいって言うから、私たちも行ってみない?」

 

 そんなわたしの一言に当時好きだった彼はふたつ返事をして、日曜の昼下がりに古びた階段を上った。夏なんてとうの昔に過ぎたと思えるほど秋も深まってきたというのに、その日は少し暑苦しいと感じたことを覚えている。

 

 暗めの店内は今で言う‘‘フォトジェニック’’などという言葉とは無縁で、少し寂しげな空気を漂わせていた。それでも席はかなり埋まっていて、それぞれがカレーライスや殆ど炭酸が抜けてしまったように見えるメロンソーダを前に、話に花を咲かせている。

 

 女性店員に案内された席は壁際で、かなり昔の本がズラリと並べられていた。随分と読み込まれた印象を受けるほどにどれもクタクタになっていて、次来た時には今までこの席に腰を下ろした人の人生に思いを馳せてみよう、などと胸を躍らせてみる。

 

「ねえ、なに食べよっか?」

 

 遠慮がちにヒソヒソと、そして時折「アハハッ」と女性の高い笑い声と共に何人もの「シーッ」が広がる店内。わたしの知らない人がこの席に座り、人生を考えたり恋に悩んだり、その答えを本に求めたりしたのだと確信できること。そして目の前に座る、保育園のころから知っている彼。……あ、髪が跳ねてる。なんだかこう、‘‘大好き’’が詰まったようなこの時間が愛おしくて、メニューと彼を交互に見つめながら、いつもよりちょっぴり高い声でわたしはそう聞いた。

 

 

 「せーの」で指差して見事に被ったグラタンを、ハフハフと口に運ぶ。チーズと玉ねぎが絶妙にマッチしていて、「美味しいね」、と言おうとした瞬間。

 

「なんか不味くない?」

 

 彼は眉間に皺を寄せ、今にも落としそうなほどの弱い力でフォークを持ちながらそう呟いた。わたしの反応を待つことなく、「中、火通ってないんじゃない、これ」と続ける。

 

 

 まるで、シャッターが押されたようだった。わたしはそれを‘‘瞳のシャッター’’と呼んでいる(ネーミングセンスがないことは誰よりも自分がわかっている)のだが、感動したときや美しいものを前にしたとき以外でもこのシャッターは押されるのか、と冷静に考えたりもした。その写真と彼の言葉は未だにわたしの記憶の淵に居座り、他の男性と食事をするときにはいつも蘇る。

 

 

 

 「不味くない?」の一言は、それまでのふたりのあまい会話も、人生とか考えたくなるほどにエモい店内も、まだほんのりと湯気を立てている美味しそうなグラタンも、そしてわたしのウキウキとした気分もグチャリと潰して、残ったのは彼のフォークが机に置かれたときの少し大き目な音と、彼に届かないほどに小さいわたしの溜息だけ。

 

 それからというもの、わたしの理想のタイプには‘‘出された料理がたとえ美味しいと感じられなくても、笑い合える人’’が加えられた。勿論、無理して笑ってほしいだなんて思っていないが、自分たちの口に合わない味というものは少なからずあるはずで、それでも「こんな日もあるかー!」と笑える人が良い。

 

 

 

 こんなちょっぴり苦い思い出は、わたしだけでなく誰にでも1つはあるだろう。街を歩いているときにふと感じた懐かしい香りや、開拓しようと入ったカフェで最初に目に入ったふわふわパーマの茶髪店員、夏が生温い空気と一緒に連れてくる一夜限りの思い出や、毎年その季節にだけ咲く花の名を教えた誰かのこと。もう忘れたと思っていても日常の至るところにその‘‘スイッチ’’は隠れていて、それが押されるたびに立ち止まり、胸を締め付けられるか或いは少しの安堵を覚え、また歩き出す。

 

 

 そして今日もわたしは通っている喫茶店で絶品スパゲッティかそんなに口に合わないグラタンかで迷い、最終的に「やっぱりグラタンだ」と決め、「ウーン、いつも通りだ」と零し口に運びながら、「こんな日もあるかー!」と笑いかけてくれる人を待っている。