キッチンとわたしと「好き」と

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蛍光灯が申し訳なさそうに光るキッチンで、わたしはひとり、アツアツのご飯とひきわり納豆を口の中にかきこんでいた。

 

改札前で恋人に月末までの別れを告げ、電車内に乗り込んだあと、少しだけ泣き出しそうになりながら、家に帰ったらキッチンでひきわり納豆を食べてやる、と決めていたのだ。

別れ際、うまく笑えていただろうか。

 

 

 

先日、幼馴染がお酒を手に、こんなことを言っていた。

 

 

「彼の心変わりは怖くない。怖いのは、自分の気持ちが変わってしまうことだ」

 

 

彼女には、中学生の時から付き合っている恋人がいる。別れたこともあるが、もう5年も彼を想い続けている。

彼が新しく車を買うつもりでいること、今の‘‘恋人’’という立場では強く否定できないこと。彼の休日出勤が重なって、もしかしたら正月まで会えないかもしれないこと。大学を卒業したら籍を入れようと思っていること。「彼と家族になりたい」と笑う彼女を見て、保育園の頃の彼女を思い出した。今年でわたしたちは20歳になった。

 

積もりに積もった話を終え、ふう、と息をついた時に、彼女はさっきの言葉を発した。

 

 

 

 

わたしは吉本ばななの『キッチン』を閉じると、隣に座り本を読む恋人の長くて密度の高い睫毛を見つめながら、この人と別れたいと思う日がくるのだろうか、なんてことを考えていた。

 

長い前髪の隙間から覗く瞳や、わたしよりも大きく形の良い指先、騒がしい場所ではよく聞き取れないほど低くてあまい声、世界から身を潜めるような猫背。どれも、彼が彼としてこの世界に存在するためにすべて正しいかたちをしている。

彼の輪郭をなぞることを止め、それらから目を逸らし、伸ばしてくる手を避け、視線を合わせぬまま別れを告げようとする日がいつか来るのだろうか。

 

出会いに別れはつきものだから、出会ってしまった以上、別れて恋人ではなくなるか、死別するかのどちらかしかないと思うのだけれど。

もう愛せないと思う日が来るのかもしれないという静かな恐怖が、蛇口から滴るしずくが大きくて歪な円を作るように、わたしの心に広がった。

 

 

 

 

人の気持ちは変わりゆくものだ。仮に恋人が心変わりしたとしても、わたしは冷静に仕方ないよなあ、なんて思うだろう。今の「好き」という言葉は、これからの「好き」を保証するものではない。「好き」という言葉は、今この瞬間の言葉でしかないのだ。

 

悲しいことや辛いことはわたしたちの意思に関係なく訪れるし、それらを通して自分の中の価値観がガラリと変わることもある。

日々変わりゆく社会で生きて、毎日朝が来るたびに昨日とは違う新しい自分になるのに、それでもずっとなにかを「好き」でい続けるには、並々ならぬ努力が必要だろう。

 

相手に好きでい続けてもらえるように、相手を好きでい続けられるように、変わっていかなければならない。お互いが日々少しずつ変わっていくことを、ちゃんと受け入れなければならない。

……なんて書いたけれど、これであってるのかなあ。

 

 

 

わたしがこれだけ怖いと感じるのだから、5年も隣にいて結婚も考えている幼馴染の恐怖といったら、わたしのそれとは比じゃないはずだ。

今こんなに好きなのに、5年もの時間をふたりで過ごしてきたのに、一生傍にいる覚悟だってあるのに、それでもある時「好きじゃない」と思う日が来るのかもしれない。

相手の心変わりは許せても、自分が心変わりするなんて許せない。

 

 

 

恋人に手を引かれながらそんなことを考えたのち、わたしは満員電車に揺られた。

まったくの赤の他人とは嫌でも密着するほかないのに、わたしの様子がおかしいと感じていたであろう恋人には最低限しか触れられなかった。

 

 

スーツを着た男性たちに押されまくってもなおツムツムに夢中になっている女性を見た時、今日はキッチンで立ち食いしちゃおう、と決めた。行儀が悪いなんてことは分かっているし、もしそこに恋人がいたら「ちゃんと座って食べなさい」と椅子まで連れて行かれるだろうけれど。

それでも今日はどうしてもいつもとは違うことがしたくて、スーパーのグレーのカゴにひきわり納豆を放り込んだ。別れ際の恋人の悲し気な表情を、頭の中で再生しながら。

 

 

20歳になって大人の仲間入りを果たしたのだから毎日ご機嫌でいよう、そう決めていたのに、決意してたったの4日でこれだ。

 

スーパーのレジ袋を右手に下げたわたしはキッチンに立ち、今日1日中ずっと笑顔だった恋人のことを思い出していた。