終わりのにおいと共に現れた‘‘彼’’

 

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静かに屋根の上へと落ちる雨の音と、水溜まりを掻き分けてゆったりと走る車の音を聴きながら、今わたしはぼうっとしている。昨日の夕方のことを思い出しながら。

 

この週末は、天気も気温も春そのものという感じだった。アウターを脱ぎたくなるほど暖かくて、部屋の中に降り注ぐ眩い光に目を細める瞬間が何度もあった。

 

ただ、においだけは違った。

 

昨日の日曜日、こんなツイートをした。

 

 

今思うと「春のにおい」とは違った気がする。始まりのにおいではなくて、終わりのにおいだった。わたしの中での「春のにおい」とは「始まりのにおい」を指す。吸い込むと身体中がポカポカと温まって、胸が高鳴る。持っている荷物をその場に置いて走り出したくなるのだ。もっと速く、もっと遠くへ、と。

けれど日曜日のにおいは、中学校を卒業した日の帰り道や、もう二度と会うことのない人に背を向けた瞬間に吸い込んだ「終わりのにおい」だったように思う。愛に諦めと、ほんの少しの寂しさが入り混じったにおい。わたしは終わりのにおいが好きだ。そして、そのにおいがする人も好きだ。

 

 

昨日の夕方、キッチンで洗い物をしていた。半分ほど開けた窓の外から、終わりのにおいと共に近くの道路を歩く家族の会話が流れ込んできた。会話の内容は思い出せないのだけれど、「いつかは結婚して、子どもができて、あんな風に話しかけるのだろうか」という言葉が頭に浮かんだ。

 

結婚する時には「一度も(結婚を)したことがないから、してみた!」と言って回るという夢があるし、今でも「結婚ってそんなに難しく考えるものなの? したかったからする、じゃダメなの? 悩んでいるうちに他の人にとられちゃうかもしれないじゃん! 他の人にとられたくないから結婚したいって言われたいし、もし言ってくれなかったら自分から言いたい!」なんて思う。

ひとりはすごく楽だけれど、ふたりなら幸福を最大化できるし悲しみは最小化できる。それに、ひとりでは味わえない感情に身を浸してみたい。退屈だと嘆くことも、相手を心底嫌になることもあるだろうけれど、それも全部愛し抜ける人になりたい。

 

けれど、結婚なんてぜんぜん考えられない、とほんとうに突然思ったのだ。

昨日の夕方、終わりのにおいを嗅いで家族の笑い声が耳に入ってきた瞬間に、結婚の二文字が胸の奥に沈んでいき、‘‘彼’’がいつの間にかわたしの後ろまで迫っていることに気付いた。

 

まだ20歳でこれからなんだってできるし、どこへ行って何をしても良いという自由を手にしているのに、どうしてこんなにも息苦しさを感じているのか、もうどこへも行けないし何にもなれないとなぜ諦めているのか。その答えは「何もかも諦めて生きる方が楽だから」だということはわかっている。

 

こういった世界に取り残されたような、ひとりぼっちになってしまったような感覚は、中学生の頃から定期的にわたしの目の前に現れる。

まだ4、5歳ほどの‘‘彼’’はわたしに見ていてほしいのだ、と気づいたのは最近のこと。中学2年から始まったので、6年ほどかかった。それからは、彼が去るその後ろ姿までジッと見つめ続けるようにしている。パソコンに向かっている今も彼はわたしの背中にのしかかって画面を覗き、書き終えるのを今か今かと待っている。

 

終わりのにおいと共に現れた彼は今回もしばらくここにいるだろうが、満足して去っていくまではきちんと向き合い続けたい。