今日もあなたが、よくねむれますように。

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わたしは毎晩ねむる前、ベッドのなかで「大切なひとたちが今日もよくねむれますように」と祈る。

 

悲しみや辛い出来事がひとを成長させるとしても、ほんとうにほんとうのことを言えば、大切なひとたちにそんな思いをしてほしくない。いつだってしあわせでいてほしい。

 

つらいことは全部わたしが引き受けられたらいいのに、なんて言うと「きれいごとだ」と笑われるかもしれないし、そんなことを考えて泣きながらねむりについていると知ったひとには「自分に酔っている」と思われるだろう。

きっとそうなのだ。きれいごとだし、自分に酔っているだけなのかもしれない。それに、昨日「自分のしあわせは大事なひとのしあわせに繋がる」という話をしたばかりだ。

 

結局、わたしにはなにもできない。大切なひとたちが零すことばを掬い、どんなことばを必要としているか、どんなことばをかけたら少しでも安らかになれるのかを考え、あたたかい飲み物をだして、抱きしめることくらいしかできない。

いつの日かその傷が癒えると信じ、痛みや悲しみを受け止めて彼らはまた歩き出すと信じてもいる。そのために自分ができることならなんだってする。けれど、引き受けたいと願っても、彼らの代わりにはなれない。

 

だからわたしは、毎晩祈る。

 

目を閉じたら、大切なひとたちの顔や声を思いだして、ひとりひとりの名前をよぶ。

 

よくねむれますように。

安らかでありますように。

悲しみに打ちひしがれて今晩どうしてもねむれないとしても、おだやかでやさしい朝がきますように。

朝めざめたら、やわらかな光が部屋のすみずみまで行き渡っていますように。

満員電車ではありませんように。

お昼にたべる日替わりのランチが彼らの大好物でありますように。

帰りに寄ったスーパーで、並ばずに会計ができますように。

レジ袋を持って歩いてパッと顔を上げたとき、キレイな夕暮れが見られますように。

 

そんなふうに祈りながら、わたしは今日もねむる。今日もあなたが、よくねむれますように。