平成最後の7月1日

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朝の7時。祖母の声で目が覚めて、布団の上で大きく伸びをする。こんなにさっぱりとした朝は久しぶりだ。いつもは「まだ寝ていたい」と毛布を抱きしめて浅い眠りに落ちるのだけれど、両目ともにぱっちりと開いている。

 
6月25日(月)に実家へ戻り、昨日からは祖母の家に来ている。実家のあたりと比べればかなり涼しいほうだが、あまりにも早い梅雨明けのせいで昼間は窓を開けていても暑い。

 
昨晩残ったカレーを食べていると25歳の従姉妹と叔母が顔を出し、祖母と叔母は農作物を取りに出かけた。

 
年始ぶりに会った従姉妹と皿を洗っていると「従姉妹みんな東京に行っちゃうんだもの」とすこし寂しげにつぶやく。彼女は福祉系の仕事をしていて、両腕には爪で引っ掻かれた跡や噛まれた跡が残っていた。だれかの成長を信じて向き合い、見守り、できる限りの支援をするのは、並大抵のことではない。人を愛するのは、むずかしい。

 

 

昼下がり、こんなに自然豊かなところに来ているというのに家の中にいるのもな、と思い日焼け止めをひたと塗ると、iPhoneだけを持って外へ足をのばした。

 
彩度や明度のちがう緑、土と植物のにおい。絵の具で描いたようなモクモクとした雲がゆったりと、真っ青な空のうえを流れる。

 
わたしはもともと夏が好きではなくて(東京の地獄のような暑さから逃れるために地元へUターンしてきたほどだ)、できればクーラーの効いた涼しい部屋でじっとしていたい人間なのだけれど、祖母宅にいるときはちがう。

 
まぶしいほどの緑や青、色とりどりの花や葉を見て、学生時代にずっと吸っていた空気で身体じゅうを満たすと、肌を射るような日差しや、じわじわと背中や額から流れ出す汗なんてどうでもよくなってしまうのだ。むしろ、それすらもきもちがいいと感じるほど。

 
しばらくそんなふうにあっちへ行ったりこっちへ行ったり、森に足を踏み入れようとするも虫の多さにあきらめたり、祖母がジョキンジョキンと切るわらびを見つめたりした。

 

 

ここにいると、自分に対しての視力が良くなり、逆にすべての出来事が遠くに感じる。

 
「綺麗だな」「いいにおいだな」「おいしいな」と五感に集中できるから、自分に対しての視力が良くなる。青から徐々にピンク色へと変わる空を見つめていると、鳥のさえずりや水の流れる音だけが小さく耳に入ってくる。


東京にいるときは、そうはいかない。四六時中、自室にいても人の声や車の音が聞こえてくる。それは時としてわたしを救ってくれるし、常にわたしの周りをうろうろとする不安や焦燥感は、仕事に対する意識を上げてくれているのだと思う。

 
ここにいれば、安全だ。すべての出来事が遠く思える。なにか大きな問題に立ち向かおうなんて気持ちには到底なれないし、今わたしが抱える問題意識も、幻想のような気すらする。

 

 

大好きな仕事仲間たちからの愛のあるメッセージをいくつも受けとり、そのたびに深呼吸をした。わたしには、 やりたいこともやるべきこともたくさんある。仲間たちと叶えたい夢も掴みたい未来もある。でも、こうして立ち止まる時間が、今は必要だ。