体調が悪いと、泣き出したくなってしまう。

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今日は、朝からひどく身体が重かった。頭はズーンと鈍く痛み、肩のあたりに何かが乗っているような気もした。

 

体調が悪いと、泣き出したくなってしまう。「体調が悪い」と言葉にする前に、涙がひと粒ぽろりと零れることもある。

 

そんなときは決まって、子どもの頃を思い出す。

 

家族4人で団らんしていたのに、いつの間にかこたつの横で眠ってしまって、父がお姫様抱っこで2階のベッドまで運んでくれた日のこと。

学校に行けなかった日の夜、母がわたしの部屋のドアをそうっと開け、眠るわたしの額をやさしく撫でてくれた日のこと。

家族4人で遠出した帰りに後部座席に横たわり、父と母の楽しそうな話し声を聞いていた日のこと。

 

浅い眠りのなかを行ったり来たりしながら、そして時おり寝たふりをしながら、父や母の愛を享受していたあの頃。

 

 

体調が悪いとき、怒られたとき、悲しいとき。最初に出てくるのは言葉ではなく、涙だ。

 

昔からそうだ。父母の「泣くな」「泣いても解決しない」と荒立つ声を聞くと、さらに泣けてきた。そのうちに「大人に言ってもわかるはずない」と思うようになった。

 

泣いても解決しない。それは間違っていない。けれど、その瞬間の悲しい気持ちをうまく言語化できずにいた幼い頃は、涙を流すことしかできなかった。

 

父や母を責めたいわけではない。

ふたりにとってわたしは初めての子どもだったのだし、正解なのかわからない道を進むのは不安だっただろう。ふたりも人間だから、別のことで気分が悪かったのかもしれないし、完璧な子育てを目指そうとして思わず強い言葉が出てしまったのかもしれない。

 

ただ、将来わたしに子どもができて、我が子が何も言わずに泣き出すことがあれば、「泣いていいんだよ」とやさしく抱きしめたいな。泣き止んだら、目を見て話を聞きたい。決して声を荒げたりせずに。

子育ては戦争のようなものだから、そんな時間的・精神的余裕はないかもしれない。けれど世で言うところの‘‘完璧な子育て’’ばかり追っていては、目の前にいる我が子が見えなくなってしまいそうだ。

 

父や母が「言い過ぎたな」「失敗したな」と思っていたとしても、今わたしはプラスに受け取れている。それらがなければこうして将来を見つめることもなかっただろうから感謝しているし、これで良かったのだ。

 

過去の小さな選択や言葉が、今へ、未来へと繋がっていく。なんだか嬉しくて仕方ないなあと思いながら、零れた涙を拭いた。